おはようございます!
パミールハイウェイ自転車旅行最終日です!
オシュで自転車を買うところから
オシュで100ドルの自転車を買う!~パミールハイウェイ自転車旅行準備編~
10日間の旅と準備の様子をまとめた記事はこちら
パミールハイウェイ自転車旅行10日目(最終日)
Vankala村あたり→下り坂で転倒し骨折して自転車旅行終了
結論から書いておきますが、転倒してパミールハイウェイを走破することができませんでした。
ホログから約90キロ離れた村で起床!
朝からインスタント麺と目玉焼を食べた。
きょうの天気は悪くはない!!!
今日は最終日の予定で、ゴールであるホログまで約90キロほど。しかも、下り基調で道はいいと思われるので十分間に合う!!!
朝方になると、空気は少し抜けているので空気を入れてから、
9時ごろに出発!
朝だから風はなく涼しく漕ぎやすい。
BB付近から変な音がなる、タイヤも後ろはすり減っていた。ホログに着いたら、早く売ろうと思う。
そう考えれば、今までの道は舗装されていなかったり逆風もあったので自然とスピードも出た。
下り坂が気持ちよかった。
少し見通しカーブの悪い下り坂、思ったよりもスピードが出た。
新興国は舗装されていても、急に未舗装なところやガタガタになっていたりする。
最終日ということもあり余裕ぶっこいでいて発見が遅れた。
避けきれないし、ブレーキもそんなにかからなかった。
・・・・・
もう遅い。
やってしまったと思った時には、
ぼくは宙を舞っていた。
自転車から吹き飛ばされたのだった。
どのくらい飛んだのかはわからないが地面を滑り転がる。そしてぼくの後から自転車が降ってきて頭に当たった。頭にはそんなに痛みは感じなかった。
しかし、すぐに右手の甲の親指の付け根がえぐれているのに気がついた。
そして左の手のひらの親指の付け根にかなりの違和感を感じた。あれ、俺の親指の腹こんなに膨らんでいたっけな。わからなかった。でも、そこは痛みを感じない。
原因はすぐにわかった。
肘が猛烈に痛い。
ほとんど動かすことごできなかった。
これまでの経験から、これは折れているんじゃないかと思った。
ここでぼくの自転車旅行が終わった悟った。
車も通らないのでこのまま倒れていたいが、誰も助けてくれない。
痛みに耐えながら体を起こす。
左腕が使えない。
それでもスマホで写真を撮った。
自転車は壊れてはいないようだった。
自転車を立てかけて、散らばった荷物を取りにいく。
カメラは体にかけていて、衝撃で前へまわってきていて無事だった。
どれくらい飛んだのだろうか。スピードも出ていた。
カゴに散乱した荷物を入れて、そして、左手をだらんとさせて、右手一本で自転車を押し歩いた。
多分、2キロほど押した。
痛さではなく、ホログまであと80キロくらいしかないのに、ここまで頑張ってきたのに、あと少しのところでたどり着けなかった自分の油断からきた未熟さを感じ、悔し涙を少しだけ流した。
このときにぼくは何を考えながら自転車を押し続けたのだろうか。
意外と冷静だったかもしれない。
道路沿いに村が見えた。
人とすれ違う。
なんて言ったらいいんだろう。
こんなところで英語なんて通じないので、ボロボロに汚れた服と右手の怪我を見せ、左ひじを指さした。
「ドクター」彼らは簡単な英語を知っていた。
「少し進んだところにある家に行け」と言っていたと思う。
ふらふら押して歩いた。
おばちゃんがいた。
右手の消毒をしてくれた。なにやらタブレットを飲みなさいとくれた。
チャイや食べ物をくれた。
病院へ行く必要がある。
ヒッチハイクをしたが、パミールハイウェイは交通量が極端に少なく、車が通ったとしても満員で基本的には乗れない。
息子がホログではないけれど、その間にある病院へ連れて行ってくれるという。ぼくの自転車に乗ってガソリンを買いに行く。
買ってきて車に注ぐ。
「病院へ行くぞ!」とジェスチャーで言われた。
もう必要はないので、彼に自転車やキャンプ道具などすべてあげることになった。
しかし、ガソリンが足りないので途中のガソリンスタンドによるもそこもなかった。3つ目くらいのところでやっと給油できた。もちろんお金は払った。
約40キロ離れた病院へ着いた。
これ以上迷惑はかけられないのでいくらかお金を渡して帰ってもらった。
そこは診療所のようなところだった。
ぼくは上着を脱ぐのがむつかしかった。
医者にもほとんど英語は通じない。
彼がジェスチャーで言うには「折れていないけど、関節がズレているんじゃないのか」と、そういってなぜか注射を打とうとしてきたので拒絶した。
申し訳ないが、この国の医療レベルはかなり低く、信用できなかった。
医師は続けて触診する。
突然、ぼくは気分が悪くなり吐き気がしてフラフラな状態になった。
医師は言った「エネルギーが足りてない。何か食うか」
「何もいらない」
食欲がなかった。
「それならチャイ飲め。ノンシュガーそれは良くない。お前は栄養が足りていないんだからな!」
少しだけチャイを飲んで少しの間休ませてもらった。
やはりレントゲンが必要だそう。ホログの病院へ行くべきだと言われた。
ぼくははじめからそのつもりだった。
ホログの病院といえども新興国の、それまた僻地だ。
F氏が中央アジアの病院はアフリカレベルだ、火傷した傷口に歯磨き粉塗られるような国もあると言っていたのを思い出した。
持っていたタオルで固定してヒッチハイクでホログの病院へ
道中、自分が通るはずだった道を眺めた。
病院の近くまで15ソムニと思ったより安かった。
レントゲン51ソムニ(約600円)で、あとは無料だった。
医者に「肘がチュチュ(少し)折れている」的なことを言われた。レントゲンの写真を見てもぼくはどこがどうなっているかわからなかったのだが、彼は自信満々に言うのでそうなんだろう。
肩の少し下から手首までなにかで固められて包帯をぐるぐる巻き。うでは曲がらない。手の甲は日焼け。
このまま5、6週間は固定だそう。
左腕全体が使えないので何もかもが不自由になった。
この日本から遠いタジキスタンのホログというところで。
病院から出て、薬局で薬を買う。
ご飯を食べて、誰も助けてはくれないし頼りたくないので宿探しをする。
ケガしているくせに、高いところは嫌だったのでいろいろと歩いてまわる。
行きついたのは、
Sheron Guesthouse、15ドルと朝夜飯付き。
家族のみんな本当に気にかけてくれた。
ぼくの旅行に対するモチベーションは完全に喪失していたので、持っていたパーカーとかをこどもにあげた。
ここで3日間ほど心身を休憩した。
パミールハイウェイ自転車旅行は失敗に終わりました。
最終日ということで油断していたのが大きかったと思います。あと自転車の整備不良と体格にもあっていなかったです。
正直、ブログを書いている約1年後の今でも左腕は日常生活に支障はないですがどこかおかしく完璧には治らないと思う。
でも、
結果的に失敗はしたけれど、
ぼくは今回のパミールハイウェイでのチャレンジに後悔はないです!やってよかった。
だから、ぼくはまた前に進んでいけると思う。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
でわでわ。