ナマステ!(インドのあいさつ)
陸路でミャンマーの国境を越えてインドにやってきた。
情報収取をしていたら、インド人に「今日からストライキ!」と言われ、さっそくインドがはじまったな!と思いきや、それは嘘ではなくて本当だった。
ミャンマーからインドへの陸路国境越えで必要であろう情報を書いている記事があるので詳しい情報はこちらをご覧ください。
インド国境モレ町
インドのゴールデンルートを旅するのならば、「ストライキ」とか言われれば嘘な可能性も高いが、北東部、ましてや国境の町モレでは悪い人はいなかった。みんな親切で優しい。それにモンゴロイドの人も多くって、ぼくたち日本人に顔が似ていてなんだか親しみが湧いた。
キリスト教がマジョリティーを占める地域だが、もちろんヒンドゥー教徒、イスラム教徒、シク教徒の人々もいた。
ストライキなのか、道の通行が政府によって禁止されているのか、その時はどちらなのかわからなかったのだが、どっちみち先へ進むことができないので滞在するしかない。
モレの町で滞在したSANGAI LODGEは1泊150ルピー(240円)と激安でした。オーナーはモンゴロイドで気さくでいい人でした。英語可。
オーナーが言うには、昔は現在ミャンマー国境の町タムもインドだったらしい。でも、アンダマン諸島とタムを交換したと言っていた。本当かどうか知らないけど。交換されるのっていやだなとは思った。
悪気はないが、モレの飯は不味かった。食堂のような場所はいくつかあるが、一番おいしかったのはインスタントのコーヒーだった(笑)
政府から交通もだし、ネットも遮断されていた。
SBIのATMがあったのだがお金をおろすことはできなかった。ちょうど国境で大量に両替をしていたのでお金の問題はない。
ネットを遮断されているのは想定外だった。せっかく宿の隣でボーダフォンかエアテルか忘れたけどシムを買ったのに、ミャンマーのシムを使っている。電波は国境の町だからかぎりぎり届いており使えた。もちろん国境付近まで近づくと普通に使えるので、国境近くで何度かスマホを触っていた。
たしか、カシミールのシュリーナガルでもネットが遮断されていたり、意外と中国みたいなことをあっさりとインドがやってのけるのに驚いた。
それでも町の人はあまり気にする様子は見えなかった。度々あるのだろうか。
CABのストライキ・デモ「我々は中国に属したい」
詳しいことは忘れちゃったのだが、モディー首相が会長のBJP(インド人民党:Bharatiya Janata Party)はこの地(モンゴロイドから)ではとても嫌われている。
「我々はインドではなく、中国に属したい」
一番の衝撃だった。ある現地の人々がこう言ったのだ。
市民法の改正の法案(CAB)が通りそうで、それをインド北東部のモンゴロイドの人々は反対しているのだ。
法案というのが、インド周辺ではパキスタンやバングラデシュなどイスラム教徒が多数を占めており、そこから逃れてきたヒンドゥー教徒や宗教的少数派らにインド国籍を与えることだ。
インド北東部では少数民族や先住民もおり、その移住者たちと緊張が続いている。
聞く話によると、インパールではタイヤが燃やされていたり、デモが過激化しているのだそうだ。
この日、ほとんどの店が閉まり、たとえ開いていたとしてもひっそりと営業していた。
市場も閑散としていて、牛が一頭ひっそりといたのだった。
男たちはバリケード?を作りはじめた。
バリケードは2か所。形だけっぽいけど。
そして、テントを設営し、座って静かにデモがはじまった。
特に何をするわけではないが、モンゴロイドの人々が座っている。ぼくも少しの間、なぜか座っていた。
取材もあった。
男性の集まりは悪いのに対し、
女性は多数参加していた。というのも、女性のほうが政治活動に熱心だという。
3日目の夕方に道が開いたらしかった。CABは次回に持ち越しだそうだ。
この国境町モレに結局3泊した。
ミャンマーから陸路で越えてきたイスラエル人、ドイツ人、イギリス人たちが集まった。
ローカルバスでインパールへ行く予定だったのだが、結局みんなでシェアバンで行った。
モレからインパールまでは山道で検問が何回かあった。
最後に運転手がよそ見して、軽く事故したがスムーズだった。
だって、「ごめん(笑)」で終わるのだから。
ということで、インパールまで到着しました。
これにてインパール作戦終わりです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。