2019年のラマダン時、ぼくはアフガニスタン北部のマザーシャリフにやってきた。
アフガニスタン中部に位置するバーミヤンから陸路で移動してきたのだが、終盤の移動で嫌なアフガン人たちと出くわして少し心がやられた。
前回の続き:バーミヤンからマザーシャリフへの道

バーミヤン~マザーシャリフ間の車窓
ラマダン時のマザーシャリフを観光

マザーシャリフの宿から見たアリーのモスク(Shrine of Hazrat Ali)
アリーのモスク(ハズラト・アリー廟)で集団礼拝
マザーシャリフではアリーのモスク(ハズラト・アリー廟)の前に宿泊していた。
ここに来た目的は他でもない、ブルーモスクやアリーのモスクと呼ばれる正式名ハズラト・アリー廟を訪問するためだ。(Shrine of Hazrat Ali in Mazari Sharif)

夕暮れ時のアリーのモスク(ハズラト・アリー廟)は幻想的
チェックイン後、いつも通りにナップサックを背負いアリーのモスクへ向かう。
入口でセキュリティーが身体検査など行っており、ナップサックを持っていたからか異教徒だからかわからないが入れなかった。
一旦、体制を立て直すために宿に戻る。
宿の人は「さあモスクへ祈りに行け」と言わんばかりに笑顔で接してくれる。おそらく日本人のムスリムが遠いところからはるばる巡礼に来たとでも思っているのだろうか。

マザーシャリフの宿のおっちゃん、笑顔が素敵
あえて「ぼくはムスリムじゃないです。ただの旅行者です。ちょっと見物に来ました!」なんて、訂正はしない。
宿のおっちゃんの勧めもあり、晩飯前にサクッと明日の下見も兼ねて別の入口から手ぶらで再度トライすることにした。
無事にアリーのモスクの敷地内に入ることができたのだが、気が付くと人がどんどん増えてくる。
あ、、これは集団礼拝がはじまるかも!と、気が付いたころにはもう遅かった!
大勢の人が集まってきている中、自分だけ逆走して逃げるのも不自然だなと思い集団礼拝の列の1つになった。
異教徒とバレたら終わるので粛々とアッラーに祈り続けた・・・。
これがかなり長くて、なんと1時間以上もあった。体感時間はもっと長かった。
一応シャルワールカミースは着ていて頭もアフガンショールで巻いていたのでぱっと見はハザラ系アフガン人かウズベク人だけど、はじめはバレないかとても心配で胃が痛くなりそうな思いだった。
動きがゆっくりで動作も少ないのではじめはみんなとの動きや列からズレたりしていたのだが、次第に祈り方も様になった。
この時間帯でもなかなか暑くて途中で水を飲んでいる人も一部いたくらいだし、何より長すぎて心身ともに消耗した。
もちろん礼拝中に写真なんて撮れるわけもないので、帰り道に少し写真を撮った。
いびつな青色に光っていた!

夜のハズラト・アリー廟
写真を撮ったりしていたので帰り道は誰も出歩いていなかった。

夜のマザーシャリフ
お腹がすいた!!!
それもそのはずでラマダンで朝からほとんど何も食べていない!
22時過ぎに飯だ。宿の人が冷めたプラオを出してくれた。※食べるところがないので翌日も食べた

宿のプラオ
宿から見た夜のアリーのモスク(ハズラト・アリー廟)

夜のアリーのモスク(ハズラト・アリー廟)
【ブルーモスク】美しきアリーのモスク(ハズラト・アリー廟)

アリーのモスク(ハズラト・アリー廟)
翌日、朝からアリーのモスクへ出かけた。とはいっても、宿から目と鼻の先だ。
目の前には日本からの道路支援の証である石碑があった。すごいぞ日本!

日本からの支援の石碑
以下、美しきアリーのモスク(ハズラト・アリー廟)

記念写真
ラマダン時のマザーシャリフを歩く

マザーシャリフの町で見かけた看板
マザーシャリフの町はアリーのモスクを中心に栄えていた。黄色いタクシーは多い。

宿の屋上から見たマザーシャリフ
アリーのモスクの外周にお土産物屋さんやホテルなどが立ち並ぶ。強盗という面では治安もいいのか札束を机に並べている路上の両替商も多い。靴磨き職人もちらほら。

アフガニスタンの地図の絨毯
アリーのモスク北側には市場が広がる。ラマダン時だったので日中はイフタールに備えて買い物をするのだろうか。

マザーシャリフの市場
テント下で客待ちしながら寝転ぶアフガニスタン人のイケメン。

アフガンショールがよく似合うアフガニスタン人のイケメン
街角には屋台もちらほら。

街角屋台
マザーシャリフで見かけた3輪の乗り物「スズキ」

アフガニスタンのトゥクトゥク「スズキ」
トゥクトゥク(オートリキシャ)っぽいけれど、名前は「スズキ」らしい。スズキというと、どうしてもパキスタンの荷台に長椅子を積んだ軽トラを想像してしまう。
スズキは形は違えど乗り物としてアフガニスタンにも浸透していたんだ!
マザーシャリフのスズキのイケメン運転手

アフガンショールがよく似合うアフガニスタン人のイケメン

アフガニスタン人のイケメン
ラマダン時のマザーシャリフは観光どころではない。
話しかけた若者がジェスチャーで喉乾いたといっていたり、気軽に誰かに話しかけたり写真を撮ったりしにくかった。
ひとくくりにするのは良くないが、もともとアフガニスタンはフレンドリーの国ではなかったが、ラマダンということもあり少し空気がピリついている。
それに、マザーシャリフはかなり暑くて、ぼくはこっそり部屋でお菓子を食べたりペプシを飲んだりしていたが、外では飲食店はもちろん開いていないので夜はまた宿のプラオを食べる。
ラマダンのせいで観光というか町歩きする気にもならないな。
もうマザーシャリフからテルメズへ行こう!ということで、
次回はアフガニスタンからウズベキスタンへ陸路国境越えです。
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