あっ旅

世界一周を目指し放浪中の旅好きなあほです。

インド 世界一周

旅の終わりを考える。

2019/09/14

おはようございます。

ムンバイからゴアよりも100キロ以上南にあるゴカルナというところへ直行しました。というのも、ゴアはなんだかパーティーとマリファナなどのドラッグのイメージがありました。(偏見)

ぼくはたばこも吸わないし、別にウェイウェイ、ヒッピーハッピーみたいな感じではない。どちらかというと、海の前のコテージのようなところでのんびりと過ごしたい、いろいろ考えたい。

 

ムンバイのCST駅からゴア方面行の鉄道に乗り込んだ。

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同じスリーパーのコンパートメントには外国人が固められていた。

クソカップルが車内でタバコを吸う。もしかするとジョイントだったかもしれないが。そのカップルの座っている一番上の段には子供がいてコソコソいっているが、バカップルは気付かずにのんきにゴア気分でいる。こどもの父が彼らに警告したけれど、そっけなくまた吸いはじめた。

 

そして、ぼくたちは外国人だからか明らかに3人組の若い泥棒グループに狙われていた。

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ぼくも薄々気が付いていたし、こどものお父さんもそう言っていた。一度お父さんが追い払ってくれたがまた戻ってきた。

彼らの手口は、2人は椅子の端っこ(通路側)に座る。残りの1人はコンパートメントの椅子と椅子の間の地べたに寝転んでくる。そして、ぼくたちが寝たあとに金品などを奪って逃げるのだ。

なので、お父さんから「彼らをこのコンパートメントから追い出すんだ、椅子に座らせるなんて絶対だめだぞ!」と言われたので、彼らに何度も言った。

しかし、15分くらい経って、また知らぬ顔でどさくさに紛れて座ってきたりする。すごいメンタリティーだ。隣のコンパートメントへ行けよと思ったが、相手が同じインド人では立場が悪いのか、外国人というカモがいるからほかのコンパートメントへは行かない。

結局、泥棒グループの侵入にしつこく警告したので入ってくることはなかった。だが、バカップルはいちゃつくことに夢中で通路に財布を落としていたので泥棒グループが気が付かないうちに拾って渡してあげた。

 

11時半にマルガオへ到着した。道中の駅で降りる人が多いので終盤はスカスカになる。

その後マルガオ13時発だったはず(もちろん遅れた)の鉄道に乗った。(56641 MAO MAQ PASS 所要時間約2時間30分)

ゴカルナに関しての記事はこちらをごらんください。

【インドのおすすめ格安ビーチリゾート】ゴカルナは静かで落ち着いていて綺麗で最高!

ゴカルナのオムビーチ

ゴカルナのオムビーチ

 

旅の終わりを考える。

ここから下の文章は主に当時のメモからです。

ゴカルナの海で

ゴカルナの海で

 

ブージにいたあたりから、ここ最近ずーっと自分の旅と人生について考えていた。

 

「インドのビシャーカパトナムからバンコクまで6000円か」

 

ぼくは日本へ帰るためのチケットを下見していた。

 

なんだかいろんな意欲が落ちてきて日本へ帰りたくなった。これが一時帰国なのかどうかはわからない。

 

しかし、本来はこれからインドをU字でまわり陸路でバングラ→インド→(ネパール)→ミャンマー→タイあたりからの来年の2月前後に一時帰国予定だった。

 

このまま今の気持ちに従ってしまうのははやい。これは一時的にそう思っているだけかもしれないからだ。実際に旅の間にも感情の波はあるからだ。

 

そう思って、インドの落ち着いたリゾート地ゴカルナへやってきた。

 

つまり、これが一時的なものなのか考え、覚悟を決め、判断するための時間が欲しかったのだ。

 

考え方や意見はいろいろあると思う。

 

ぼくなりに、調べて、考えて、迷ったうえで、最終的には直感で書いているかもしれない。だから、タイトルと結論が違うのはしょうがない。

 

どこにも模範解答はない。

 

ぼくは旅をしながら、また自分を見失った。

 

さきほども書いたように、この問題には答えはない。

 

答えは自分の頭で考えて決めなければならないのだ。

 

それはぼくが大切にしてきていることであり、ブログや自転車日本一周の電子書籍などにも多々書いている。

 

今までは、あまり迷う必要はなかった。即決だった。なぜならやりたいから、行きたいから。それがはっきりとしていたからだ。

 

ほかにも、自分が夢中になっているからこそ、うまくいっていたからこそやってのけたことを語っているのは滑稽だ。読み返せば、自分の発言の浅はかさをひしひしと感じるが、あながち間違ったことを言っていないようにも思える。

 

最終的には覚悟の問題だと思う。

 

やりたいなら、やればいい。やめたいなら、やめればいい。

 

シンプルだけど、これには覚悟が必要だ。

 

会社を辞めようか迷っている友達に、ぼくは言った。

 

「やめたいなら、やめたら?」

 

センスのかけらもない。

 

なぜなら、それはぼくの意見ではあるが、相手のことを考慮したうえでの意見なのかは不確かだからだ。

 

でも、ここで気が付いたこともある。

 

自分が思っているよりもずーっと、他人は意外と自分のことを見ていないし、考えてもいないのだ。

 

だから、当事者からすると大きな迷いでも軽々しく、あたかも知ってるかのようにアドバイスができるのだ。

 

あなたは、あなたが誰かに言った軽々しい意見に責任を持ち、保証をするのだろうか。決して、そんなことはないだろう。

 

だから、自分で覚悟を持ったうえでの判断はどちらを選んでもいいと思った。

 

後に、後悔はあるかもしれないけど。

 

人にとやかく言われる筋合いも、気にする必要もないのだ。それがありきたりで、当たり前のことだったとしても。

 

海の家で働いているときにオーナーと話したことを思い出した。

 

「考えて、考えたうえでたどり着いた答えが、当たり前のことだったとしても、それは、はじめのそれとはなんか違うよな」

 

そのときは、確かになと具体的な言葉は見つからず漠然に共感していたけれど、考えたうえでの答えは覚悟につながるのだ。

 

これまでぼくが迷わずに判断してこれたのも覚悟の範囲内だったからだ。

 

それが今、覚悟の範囲外のことを考えている。だから、迷っている。

 

覚悟を決めかねている。

 

そう、この覚悟を決めかねている状態は楽しいものではない。

 

以前こんなことを書いていた。

 

”社会を海に例えると、広い海の荒波の中、会社という船で守られていた。今は一人乗りの舟です。自分で考えて行動していかなければいけません”

新卒入社した会社をやめて一カ月で思うこと。

 

今まで突き進んできたつもりが、今はぼくはどちらへ進んだらいいのか決めかねているのだ。

 

不安でまっすぐに進めない不安定なのが、今の状態だ。

 

なんで旅をしているのかと聞かれれば「楽しいから」と答えていた。

 

旅が楽しいのは旅に出てから知った。

 

では、なぜ旅に出るようになったのか。

 

「ぼくは自分、やりたいことを探していたのかもしれない(もちろん楽しそうといことはあった)」

(決して自分探しだなんてかっこいいことは言わないが)

 

はじめて人生について考えはじめたのは就職活動の時期の少し前くらいだろうか。

 

「自分は何がしたいのか、何者になりたいのか」だ。

 

そもそも大学で経済学部を選んだのは、なんとなくだった。

 

経済だと、将来的に何をするにしても、応用が効くからだ(と思っていた)。やりたいことなんかは大学時代に勝手に見つかるさ。

 

そうだ。そのまま就職活動の時期に突入した。

 

ぼくは、みんなが妄信的に頑張る中で揺らいでいた。

 

就職活動は面接などがはじまる前にはとっくに飽きていたし疑問に思っていた。ぼくはみんなが就職活動に励む中、とくに何もせずひたすら本を読み漁り、ネットサーフィンをし続けて、いろんな人の生き方や考え方を見てきた。

 

ぼくは旅をしながら自分を失ったのだ。

 

そして、観光意欲は低下する。

 

自分には覚悟はあるのだろうか。

 

旅の終わりを考える。

 

物語はたいていハッピーエンドで終わることが多いが、現実にはそうもいかないことはあるだろう。

 

ぼくの旅がどう転ぶのかはわからない。それは誰にもわからないのだ。

 

今までは、旅の途中で「ふと、俺なにしているんだろう」という感覚や、終わってから猛烈な「俺は何でもできる!」という謎の自信を得ていた。

 

それはぼくだけではないはずだ。

 

実際に、その勢いに任せて、勇気がなくできなかった写真展や電子書籍も出せた。

ドドドドド素人が世界一周一時帰国中に旅の写真展を9日間の準備期間でやってみた話。

【初電子書籍出しました】「自転車日本一周10000キロの旅で伝えたいこと」

 

そういうことは旅のメリットの一つだと考えていた。

 

しかし、そうではない場合もある。

 

旅が長くなったり、無期限だとそういうわけではないかもしれない。

 

自分でこの目的もないただの放浪の旅を終わらせる必要があるからだ。

 

2年前の自転車日本一周の旅は世界を旅する前に少し日本を見ておくか、といったものだった。

 

それには明確なゴールはあった。

 

今回の旅にはゴールはない。

 

自分で旅を終わらせる必要がある。

 

最初の旅でもっとも辛かったのは、「旅の終わり」をどうするのかという問題に直面したときでした。いわゆる「放浪の旅」をしている旅行者は、どこへでも行ける自由を手に入れた代わりに、どのようにして旅に決着をつけるのかを、自分で決めなければならない。
旅を始めるのにたいした理由はいらないけれど、旅を終えるのにはそれなりの理由というか、自分の中での「納得」が必要になるのだと思います。自分がどこまで行ったのか、どこまで行けなかったのか、何に希望を見出したのか、何に失望したのか。
 旅の終わりは自分に向き合うときです。そしてそのことが、ときとして一番辛いことなのではないかと思うのです。

 

そうなんだ。

 

この旅の終わりを考えることは、自分と向き合うことなのだ。一番辛く、悩むときなのだ。

 

こうやって「旅の終わり」を考えているということはやめる方向で動こうとしているのだ。

 

だから、いったん帰ろうかと思ったのだ。

 

ぼくは、この「旅をやめようか問題」に結論を下そうと思う。

 

ぼくは、この状況が辛いから帰ろうとしていたのだ。

 

でも、やっとスタートラインに立てたかもしれない。

 

ぼくも行けるところまで行こうと思った。

 

旅に関しての興味が薄れてきたり、将来に対しての不安も出てきた。

 

正解はない。

 

自分で決めなくてはならない。

 

今後の人生、目先の旅ではなく、人生を。

 

なんだろうな。

 

最近旅の終わりを少しずつ意識するようになった。

 

そもそも旅を終わらせる必要があるのかどうかもわからないし、もっと旅はしたい。またパキスタンや、ミャンマーからインドにも国境越えをしたい。これらはやる!

 

だから、もう少ししたら区切りはつけようか考えている。

 

「昔ちょっと旅もしてたよって」、旅にこだわらず人生を謳歌していきたいな、と。

 

旅を終えるという次のステージへ進むために優先順位を考え、いったん日本へ帰ることに決めました。