ミンガラーバー(ミャンマーのあいさつ)
ピイから約24時間くらいかけてラカイン州の州都であるシットウェーに到着し、さっそく市場などを観光した。
ラカイン州といえば、ロヒンギャ問題やミャンマーの国軍とアラカン軍が衝突しているイメージがあった。しかし、シットウェーの市場で見たのは彼らの日常そのものだった。
ただ一つ言えることは、シットウェーの中心地だけでなく、少し郊外も見る必要があるということだ。そうすることでまた違った一面を見ることができると思う。
特に情報はないので行くあてはない。テキトーに歩きまわろう!
シットウェーでラカイン族の集落を訪れる
シットウェーの朝は寒い。暑いイメージのあるミャンマーだが朝晩は冷える。多くの男たちはロンジー(巻きスカート)を履き、その上からジャケットを羽織っている。もちろん日が昇ってくれば暑くなる。
メインロードを北方向へ歩いていくと大きな新しい橋が架かっていた。この先に何があるのかはわからない。しかし、ぼくは歩いていく。
この先の方向や道については詳しくは書かないが、テキトーに歩いた。
橋を越えると、シットウェーの中心部ではあまり見かけなかった木造の家々を見かけるようになった。
いったい彼らの家の中はどうなっているのか・・・
家の中が見たいというと、あっさりと中を見せてくれた。いやいや、僕は不審者のような人なのに。
間取りは1DKのようだった。
さらには豚もいた。
前述したとおり、ミャンマーの朝晩はまあまあ寒い。この外同然の空間でこれらの装備で大丈夫なのだろうか。過酷な環境だと思う。
いろんな道をグネグネグネグネ歩いていき・・・
また、新たな集落に到着した。後からわかったのだがここはラカイン族の集落だった。
ひとまず屋台のようなところで、なにかよくわからない天ぷらのようなものをいくつか食べた。お母さんと子供たちもいて、輪に入れてもらっていた。
聞くところによると、昔日本軍がここまでやってきたそうで、THE JAPANESE GOVERNMENTと英語で記載された昔の軍票ONE RUPEEを見せてもらった。現在、ミャンマーの通貨はチャットなのだが、ルピーだったのか?
集落をぶらつく
おもしろいなーと思ったのは、昼間っから男女ともに賭け事に熱中しているのだ!
小さい子供を抱えて、ビンゴゲームのような賭け事をしているお母さんは印象に残った!
男性陣はまた違った種類の賭け事だ。
また、若者たちはビリヤードを楽しんでいたのだ!
それから集落をぶらついていると英語を話すことができるおじいさんと出会った。戦争のとき英語をならったとかどうとか。
おじいさんが言った。
「この先にはムスリムの村がある」
「ムスリムということは、ロヒンギャということですか?」
「私たちはロヒンギャではなく、彼らをムスリムと呼んでいるんだ。この先をまっすぐ行くと見える集落がそうだ」
ぼくはロヒンギャの集落を探していた。実際に彼らの暮らしがどんなものか見てみたかった。
「ありがとうございます。ムスリムの集落に行ってみます!」と、僕は言った。
ネットでの情報だと、ラカイン州にはラカイン族とロヒンギャがいた。
しかし、1982年のミャンマー国籍法でロヒンギャは土着の民族に含まれず「バングラデシュからやってきた不法移民(ベンガリ)」という扱いをされてきた。
さらにはラカイン族の民族主義者たちは「ベンガリがイスラム国家を樹立し、我々の土地を奪う」と考えていた。
これまでもロヒンギャは潜在的に差別はされてきてはいたが、それでもラカイン族とロヒンギャはある程度平和的に共存していたらしかった。
2012年の事件をきっかけに一変し、ロヒンギャを保護するという名目でゲットー(難民キャンプ)に収容するようになったとか・・・。
しかも、あのおじいさんはベンガリ(バングラデシュからきた不法移民)とは言わずに「ムスリム」と言っていた。これは昔はある程度の関係性を保っていたということだ。
参考記事は久保田さんの【「帰還」の困難さを物語る、ミャンマー国内で暮らすロヒンギャの惨状】
ぼくはロヒンギャの人々の暮らしが見てみたい!
ロヒンギャの集落を訪問することにした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。