カラチにやってきて1週間近くが経った。
街歩きをしている際に、パキスタン人と日本人の家族と出会った。正確にはお父さんがパキスタン人、子供が日本人とのハーフ。子供と言っても同い年くらい。
ある日、サダルの近くにあるStudent Biriyaniに連れて行ってもらった。

カラチ、Student Biriyani

フセインさんとババさんと
ちなみに、ババさんは日本から帰ってきたばかりでさっそくカラチで当たったので今日は食べないらしい。
フセインさんはカラチで学校経営をしていたり、日本との中古自動車を輸入し販売しているそうだ。色々話して、翌日から泊まらせてもらうことになった。
Student Biriyaniの場所

Student Biriyani
翌日から、お家にお邪魔させていただいた。ご飯も食べさせてもらった。

パキスタンの家庭料理
学校にも案内をしてもらった。

学校
また、パキスタン人の友達も誘って、ドライブに行ったりショッピングモールに行ったりした。

カラチのショッピングモール
ババは日本語を話せるが、他の人たちはみんなウルドゥー語と英語だ。ちなみに彼らくらいの層だと英語はペラペラ。
このショッピングモールからの帰りに、突然お腹に違和感が・・・
嫌な予感だ。
げ、下痢だ。。
しかも、ここカラチは車社会で割と渋滞しているし、家までは20キロくらい離れている。1時間くらいかかるそうだ。
これはやばい!
も、漏れる・・・
まじで緊急事態だからどこでもいいからトイレに行きたい!と伝えて、
帰り道の間にファーストフード店とガソリンスタンドに2回も駆け込んだ・・・!
原因はおそらくサモサじゃないか?と言われたがわからない。
それからはひどくなる一方だった。
帰り道にとても大きなアガ・ハン大学病院(Aga Khan University Hospital)があった。翌日も治らなかったら病院へ行こうとなった。
ちなみに、後から知ったのだが、アガ・ハンはイスマイール派のイマーム(指導者)らしく、パキスタンのフンザを含む北部にイスマイール派は多い。多いと言っても全体の1%ほどだが、とても近代的で親切で富を持っているらしい。
ぼくは結局下痢は治らずに病院へ行くことになった。これじゃクエッタになんて行けない。
アガ・ハン大学病院へ車で連れて行ってもらった。なぜか昨日遊びに行ったみんなが付いて来てくれた。
大学病院内はとても大きくて迷子になりながら担当医のいるところへ向かう。とてもいい病院で高いお金を出してまでここに通うパキスタン人が多いのだとか。病院のつくりも高そうだった。
彼らが言うには、パキスタンでは家族で病人が出た場合できる限りみんなで付き添っていくそうだ。たしかに病院内を見渡しても一人で来ている人なんていなかった。そうだ、パキスタンもそうだけど、海外ではとくに家族や親せきのきずなの強さを感じる。
薬を処方してもらい、それからぼくは家で療養させてもらった。ぼくがホテルへ行くと言っても家に泊まりなさいとパキスタンバンのおかゆも出してくれました。
明日で食中毒から4日目で、そろそろ移動できるだろうかと考えていた夜の12時にはじまった息子さん(ババさん)のサプライズ誕生日会!
クラッカーも盛大で、ケーキのロウソクも花火みたいで楽しかったし、なんか僕も元気が出た!

お世話になったパキスタン人の家族と友達
さて、明日カラチからクエッタへ移動できるだろうか。
最後まで読んでいただきありがとうございます。