ぼくが警察署で寝ていたのは一種の更衣室兼仮眠室みたいなところだった。
だから、夜遅くに帰ってくる警察もいて寝るのが遅かった。
AK-47などみんなぶら下げている。なんだろうパキスタンにやってきてAKを持っている人が多すぎて、特に見ても何も思わないし感覚がバグっている自分がいる。
クエッタから脱出できるのか!?
クエッタ軟禁生活3日目@警察署
夜遅くまでアルファードが話しかけてきて寝れなかった。
ということもあり、8時半くらいまで寝ていたら、
突然「チョロ!」(行くぞ!)と言われる。
「あと5分でホームデパートメントのオフィスへ行くぞ」と。
前日に時間くらい伝えてほしかったと思いながらも急いで準備をして、出発する。
警察の(スズキ)の荷台に乗る。
テキトーに防弾チョッキやヘルメットなどが転がっている。
管轄が変わったのか途中でほかの車両にパスされる。
またしても最終的にはバイクに2ケツし向かった。
この街にしてはとても立派な大きな建物の中へ入る。
ある部屋に入った。
ここでNOCを取得するのかと思ったどうやら違った。
しばらく待ってある男が眠そうにやって来た。役職が高そうだった。
「眠いのか?」と聞いてみると、
「うん、疲れてるんだよね。ここ2日間楽しかったよ!」と言った。
俺は警察署にいたというのに・・・。
もー早く仕事して!タイプ(打ち込む)するだけなんだから・・と思った。
でも、ぼくは気がついた。ほとんどの仕事はアナログだ。積み重なる書類があった。そういえば警察署でもひたすらノートに書いていた。絶対に見返すことなんてないだろう。
突然ドイツ人がやってきた!彼はぼくが泊まらなかったブルームスターホテルに泊まっていた。
車でドイツの自宅からここまで22日できたらしい!
この後はオーストラリア、アメリカ大陸を車で旅する。家族を置いて。
2人で話した。
1人はYouTubeを見て、1人は新聞を読み、1人はゆっくりと仕事する。
今まで旅人が何人も来たはずだ。テンプレートもあると思うのだが遅い。
で、ここで申請すると思っていたらここで申請用紙を作っていただけだった。
他のオフィスへで提出。
2年くらい日本に住んでいたお偉いさんと話した。
彼に「クエッタが観光のためのパーミッションを出してくれ」とか言うと、そのくらいは出せると言っていたが、結局その場だけで終わり出してくれることはなかった。
パーミッションを受け取ったが「明日」だった。
ということは、もう一泊しないといけなくなったのだ・・・。
明日のためのチケットを買いに行くことになった。
クエッタのバスターミナルによったのだが、もう一方のバス会社が集まるところ(ぼくがバスを降りたところ)に行くことになった。
管轄が違うからか再び車両を乗り換えたのだが、ぼくはこの移動で外の景色を見てやろう!と思ってずーっと荷台の上から頭を出していた。
これがなんだかんだ楽しかったのだ!
ボスのお腹に巻き付く無数の弾!
チケット買いに行くときに、おそらく伝達ミスで「今日」になっていた。もちろん気づいていたが黙っていた。
クエッタからペシャワールまで2000ルピーだった。高い気がするがこんなものなのか相場がわからない。
チケットも無事に変えたので、ハザラ人の食堂で昼ご飯を食べた。このスタイルはアフガニスタンや中央アジア風だ。
キーマカレーは100ルピーだった。このナンもキーマカレーもうまい!!!
はじめてハザラ人に会ったので記念撮影!
一旦ボスの警察署に寄った。
敷地内に牢屋もあって収監されている人もいた。異様な雰囲気だった。
ボスが祈りたいらしく丘の上のモスクへ行く。
あー、おれはとうとうペシャワールへ行けるのかー。クエッタの街の警察たちとももうお別れだな。
クエッタは治安が良くなれば戻ってきたい場所だ。全然街を見ていないし。
クエッタからバスでペシャワールへ
クエッタには2泊した。
バス会社の前には美しい本場のバロチワンピを着た女の子がいた。もちろん写真は撮れなかった。
バスへ。ここはイランへ国境の街でもあるし、アフガニスタンへの国境の街でもあるのだ。チャマンとか行ってみたかったな。
結局パーミッション必要なかったな・・・。
バスのチケット買う時に見せてもないし、道中も一回も見せることはなかった。
そういえばはじめにクエッタに到着したときに警察が言っていたな。「俺たちはレイジー(怠惰)なんだって」
景色はとても綺麗だった。平和になってこのあたりの小さな村にも訪れるようになれば最高だろう。フロンティアはここに残っているのだ。
休憩タイム
隣の席のパキスタン人や若い乗務員が話しかけて来てしんどい。
休憩時の車内
あー、ペシャワールからのルートはどうしようか。まあ、着いてから考えよう。
22時40分頃、トライバルエリアの少し入ったところの検問で初めて降ろされたがまったくの無問題だった。
しかし、それからは道が悪かった。やはり、州が違うということを実感した。
トライバルエリアだ・・・
危ない要因はいろいろあるが、一番可能性の高そうなのは落石かな。これで死んでもおかしくない、、ところどころに岩がゴロゴロしていた。
夜1時過ぎ、地図上のトライバルエリアを少しすぎたところで検問、俺だけ降りた。トライバルエリアの範囲はだいたいで正確なものではないのか。ダラというところで検問があった。
傲慢なやさしさの押し売りを断るために、「No」と3回+切れ気味に1回言っている自分に気が付いた。
日本人感覚で客観的に見ると、マジでやばい奴だけど日本人感覚では理解や対応ができないことがあるからしょうがない。
これは夜1時頃に起こった「お茶飲む?」というお誘いへの返事だ。
バスの中では寝ることにする。起きていると話しかけてくるから。
パキスタンは人間に疲れる国ナンバー1だ。
いちいち観察してくるし、一方的に話しかけてくるのが度を越えるとウザくなる。
まぶたが開いただけで話しかけてくるレベルなので、もう「Come here」と言われるだけでムカつくようになった。
「No」といえば「Why?」を繰り返してくる・・・。
寝させてくれよ!!!
彼らの「Come here」は一緒にバスの前方の扉の横に立とうぜ!といったもの。
座っている僕に対して、しかも断られ続けているのに10回以上誘ってくるのは、本当に人の気持ちがわからないんだろうなと実感する。
そして、これらは俺様が誘ってやってるんだといった感じ。同じ話は何回も不要だ・・・。
ペシャワールの手前に日本の援助でできたトンネルがあった。日本はここにも援助をしているのかと思っていると、また乗務員が話しかけてくる。
もはや乗務員がめんどくさかったので無視していたら、乗務員を筆頭に何人かに「チンチョン」と差別的発言を繰り返し言われた。
なんなんだこの空間は・・・
疲れているときに言われたらイライラがやばい!
普通こんなこと誰かが言ったら、他の人は止めるだろ!何で加勢すんだ!?
ちょっとキレてしまった。
そんな英語通じないしシンプルに
「YOU ARE NOT FRIEND!」
しかし、日本の支援で作られたトンネルの近くだからとくに。別に支援したから敬えとかそういったわけではない。ウザ絡みをやめて差別的発言をしなかったらいいだけ。
こうやってハザラ人はいじめられているんだな・・・。
いろいろ考え事をした。苦痛な時間だった。
8時前にペシャワールのバスターミナルに到着。
60ルピーのプラオ?を食べながら思う、なんでこんなに荷物汚れるんだ・・・?
そういえば2年前にペシャワールへきたときはヤギか羊と同じ荷台に入れられて糞尿まみれになったな。それと比べたらまだマシなんだけど比較対象がおかしいよなパキスタン。
最後まで読んでいただきありがとうございます。