おはようございます!
海外旅行中に自転車でこけて左ひじ骨折した、どんくさい人代表のあつしです。どうも!
本来ならば、今日(9月30日)の飛行機でインドへ飛んでいるはずだった。しかし、今日は検査のためにドバイに行く。しかも、ビジネスクラスで。
ビシュケクからデリー行きのペガサス航空のチケットが170ドルくらいであったんで予約していたが、結局怪我をしてキャンセルすることになった。
Lccのキャンセルって、「うちは一切返金しないよ」と言うところもあれば、「ちょっとだけ返してやるよこの貧乏人が!」と言うところもある。
ペガサス航空は、ネットでの検索上では返金のことはあまり出てこなかったんですが、いざ自分のマイページへ行き、予約管理のところを確認すると、今キャンセルすると120ドルほど戻ってくるとか書いているではないか。逆に言えば、キャンセル手数料を50ドル払うことにはなるが、Lccにおいて「返金がある」と言うことに驚いたので、キャンセル=返金のボタンを押した。
この航空会社はいい加減で、キャンセル等すれば通常では完了メールなどが来るはずなんだけど、来なかった。一通よくわからないメールが来ていて、しかもトルコ語で、翻訳してもキャンセルのことについては触れていなかった。
マイページにもう一度ログインして、今の予約状況を確認しようとしたものの、ログインすることができなくなっていたので、おそらくキャンセルはできたんだろう。
不安だ。
なんとなくだが、忘れたころに返金があるんだろうな。いや、あればいいなと願う。(後日返金はありました。)
120ドルあれば、現在泊まっているビシュケクの宿3週間分以上の金額だ。現地の物価で考えると大きいのだ。
怪我した自分が100%悪いので、しょうがない。
ちなみに、保険は適用されるらしい。
怪我して、ビシュケクに戻ってきてから保険会社とやり取りをはじめて10日以上経って、やっとドバイに検査へ。
保険会社の対応は遅い。
折れていることは折れているんだけど、ビシュケクの医療レベルは外務省によると劣悪なので、ドバイへ行く。
もう一度、書く。
ドバイへ行きます!しかもビジネスクラスで。
保険会社がチケットを手配したので、ビジネスクラスになった。
自分だと絶対に買わないが、彼らのマニュアルにあてはまるとそうなるのだ。
当てはまらないと、例えば日本往復等の航空券の方が安かったとしても、それは適用されないのだ。
なんとも融通は利かない。
お客様だと考える必要はないが、ビジネスとして顧客への最適な提案というのは必要だと思う一方で、やはりこういった大きい企業だとわかっていながらも、ルールやマニュアルに板挟みになっているのだと思う。
今回対応がよければまた、同じところで契約すると思うし、またぼくの影響でまわりのひともそうする人が増えるだろう。長期旅行者の保険契約なんて数十万の金額になる。自意識過剰でも大げさな話ではなく。
今回の最適解は誰がどう考えても日本だと思う。
なぜ、ドバイへ行くことになったか説明する。
まず、保険会社の判断基準の重要なポイントは「距離」と「医療先進度」のみである。ほかのことは一切考えない。
そう、彼らが提案してきたのは「インド」または「ドバイ」だった。
距離と医療先進度でしか考えることができないので、まず日本という選択肢はなくなる。
距離と医療先進度でしか考えることができないので、インドという選択肢を提案できる。確かにインドの病院の一部はかなり発展している。特に金持ち向けの病院は。しかし、病院から一歩出ると、カオスな世界が広がっている。
もう一方の、ドバイと言う選択肢は、この二択ではまともな選択肢のように考えられる、旅行ではなく検査で行くのに滞在費が出ないのは本当に謎だけど。
インドかドバイなので、ドバイを選んだ。
結論から言うと、ドバイの病院は微妙だった。
いい機械でレントゲンを撮ったが、医者はレントゲンしかみない。これならレントゲンデータ転送してみてもらえばいいんじゃないのか。
彼が言うには「1週間後には自転車乗れるようになるし、2週間後には完ぺきに治っているよ」だ。
それはめちゃくちゃ的外れだった。
骨折をして約2週間後からギブスを外される。
個人的に腕の可動域が広がるので嫌ではなかったが、怖かった。
腕が全く動かない。
左手でジュースを飲むこともできない。口まで届かないのだ。
もちろん動かすと痛みを感じるし、負荷をかけるなんてもってのほかだ。何よりまわりが気を使ってくれなくなる。
見た目は健常者だけど、実際は左手は使えないし、むしろ守らないといけないので社会的弱者だ。
海外の揺れるバスに乗って立つのもなかなか大変だ。座っていると、ずかずかと後から入ってきた年寄りの目が嫌だ。
例えば、キルギスではトロリーバスやマルシュートカー(ミニバンみたいな)が走っていて、年よりや女性は若者から席をよく譲られるし、自分から「かわって」という。
バスの中で移動するとき、腕をつかまれることもある。
そういった日常のなにげない恐怖心がたまらなかった。
それから20日経って、まあまあ腕が動くようになって、ぼくはもともと行く予定だったインドへ行った。
それでも全然完治はしていない。
デリーの病院へ行くことにした。
インドは貧富の差は激しく、金持ちや外国人向けの病院は医療レベルも高い(と思う)
何より驚いたのは、保険会社が手配してくれた病院へ行ったものの、現状を何一つ手配していないのだ。
だから、指定された医者に会って、1分以内で「あ、君ねこの医者が専門だから見てもらって」と言われ医者が変わる。
新しい医者にかわった。
状況を説明する。
レントゲンを撮る。
少しするとレントゲン室まで医者がやってきた。
「まだかい?」
「待ってます」
「私もまた待っているよ、急いでいるんだ」
レントゲンを終えて、部屋に戻る。
再度状況などを説明する。
不思議なのは手の甲のレントゲンも撮られた。医者がぼくの手の甲あたりをグイっと強烈な力で押してきて「痛い」と言ったからだ。
跡が付くくらいの力で押すと誰でも痛いと思うが、この感覚は通じない。
だから、肘と両手甲の写真も撮られた。意味が分からない。
医者が言う、「4週間ギブスが必要だね」
この肘のところがちょっと折れているね。
ぼくは「え、また!?」と思った。というのも、ギブスを再度つけると実質左腕は使えなくなる。
ギブスを付けたまま旅はできない。このときまた日本へ帰るべきなのかと頭によぎった。
医者にもう一度確認したんだけど、ギブスは必要だという。
医者は予定があるのか急いでいて、ギブスをまくのをほかの医者に丸投げして、「じゃあ」と帰って行った。
救急外来?の医者に巻いてもらうことになった。
ぼくが救急外来へ行ったころ、ぼくにギブスを巻いてくれるはずの医者は一生懸命に心臓マッサージをしていた。
あたりを見まわしても苦しんでいる人は多くて、ぼくは軽症でここにいていいものなのかと感じてきた。
悲鳴や鳴き声などが聞こえてきた。
警備員も数人やってきた。
心臓マッサージを受けていた患者が亡くなったのだ。
そのインド人の家族が泣き崩れているのだろう。
ぼくはこれまの旅で、トルニャン村の風葬、バラナシの火葬、東チベットの鳥葬を見た。
しかし、これらは亡くなったあとの葬儀であって、今回の光景は実際に亡くなる瞬間だった。
10億人をはるかに超えるインド。
街中で多くのインド人とすれ違う。
日本だとイメージは付きやすいんだけど、
本当に失礼な言い方になるが、彼らもまたそれぞれのストーリーがある。彼らにもまた家族がいる。愛し愛されている。
そのときいろんなことが頭によぎった。
横には、おばあちゃんの手を握り続けるおじいちゃん。
いろいろ考えてしまい、この場にいるのは嫌になる。
救急の医者は忙しいので、また医者がかわった。
そのへんにいた休憩している医者だ。
彼らと少し話した。
「もう時間がじゅうぶん経っているからギブスまく必要はないよ、彼(担当医)は勘違いしたんだ」
ぼくはとても驚いた!!!
さすがのぼくでも、怪我をした日、9月14日を英語で伝えるのを間違えるはずはない!
それにしても、危うくギブスを巻かれるところだった。
最近骨折したと勘違いして、レントゲンの写真見てまだ治っていないのはやばいと思った。
結局、インドの病院へ行っても何もかわらなかった。
ぼくは4か国の病院へ行って各国の治療方針がわかった。
- タジキスタン、5,6週間ギブスからのリハビリ
- キルギス、同上
- ドバイ、2週間目でギブス外してリハビリ
- インド、4週間ギブスからのリハビリ
ぼくは旅を続けよう・・・
今回思ったのは、なんだかんだ外国人で言葉の壁以上に感覚の壁もある。
そのうえ、保険会社の方針で海外で治療することになるんだから、医者とのコミュニケーションにおいて細かいことは通じないので通訳くらいはつけてほしかった。
保険会社に日本に帰って治療・療養するという選択肢を提供してほしかった。
お互いにとってメリットしかない。しかし、くだらないマニュアルなんかでそうにはいかなかった。ほかにも文句を言いたいことは山ほどあるがやめておく。
海外で怪我や病気をしても日本へ帰れないよということ。
なんだかんだドバイとインド両方の病院行くとは思っていなかった。
保険なんて、入っていても利用しないに越したことはないんです。
健康第一です。
リアルタイムはインド旅行中です。
でわでわ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。