ミンガラーバー
おーはよ。
新社会人の皆さんおはようございます。
いろいろ書きたいけど書かないでおこう。
俺はというと、、
早朝4時過ぎごろに起きる。
定刻では4時ごろにミッチーナに到着する。
案の定、ミッチーナにはまだ着いていなくて、4時半の時点でミッチーナから今いるところは直線距離で約70キロ離れている。
やっぱり朝方は寒いなーと思いながら座る。
6時過ぎにはミッチーナにだいぶ近づいて、あと10キロというところまで来た。
ミッチーナはミャンマー最北のカチン州だけあって(最北の州の中では南に位置する)寒いんだけど、みんな急に全部の窓を全開にし始める。
風が入ってきて寒い。
寒い中、カチンのミッチーナの景色を窓から見ていた。
結局3時間程の遅れで約21時間の乗車で7時前に駅に到着。
トゥクトゥクの客引きがホームにも待ち構えていてめちゃくちゃいる。
もちろん声をかけてくるが、断った。
事前情報ではミッチーナのホテルは高いらしくて25-30ドルはするらしい。
朝に到着したので、存分に安いホテルを探してやろうと意気込み歩く。
外国人の姿は一人も見なかった。
一軒目のホテルでいくらかと聞くと、値段よりも先に「ノーフォリナー」と断られた。
安いホテルとかを聞くと、外国人が泊まることのできるホテルはあまりないらしい。
お前みたいなやつはYMCAに行けと言われた。(意訳)
仕方なく、YMCAへ向かう。
なんだか、今まで泊まったホテルとはちがった雰囲気。
ファンのシングルトイレバス共同(水)Wi-Fiなしの部屋が1泊10ドルとミャンマーの他のホテルと比べると高いけど、当初思っていたミッチーナのホテルの中では最安の部類に入るだろうとのことでここに決めた。
受付の子は「一撃Ichigeki」というTシャツを着ていた。
どうやら空手をやっているらしい。
現在日本人の団体(と言っても5人くらい)も泊まっているらしい。
少し休憩して、
YMCAの横のオリエントという日本食も使っているレストランでラーメンを食べた。
自称昔はラーメン大好き少年の俺としては、味は日本風のヌードルといった感じで、日本で出てくればきれるレベルだが、若干の懐かしさを感じた。しかも値段もキムチ付きで1500と思ったより安い。
町を散策しに出かけた。
外国人いない。
町中はコンパクトだが市場は大きいし、電化製品の店も多い。
ここから中国まで100キロほどなのでその影響なのだろうか。
町の中には旧正月を祝う張り紙や、中国風の飾り、ドラゴン系のホテルがあって少しは中国っぽさがあった。
いったん宿に戻り自転車があるかと尋ねた。
一応あったのだが、スタッフかスタッフの友達の自転車。
値段は3000チャットとこれまでの最高記録で埃はかぶっているし空気はないおんぼろだ。
自転車を汚い雑巾で拭いて空気を入れて試乗してみる。
ペダルは重く全然進まない。
ブレーキに関しては前が全く効かず、後ろが少し聞く程度。
この自転車は保留というか、最終手段にして他を探すことにした。
自転車探しはとても苦戦した。
宿の人に聞いていたところに行くと、貸し出しはしていなくて新品のみだと言われ、自転車屋さんみたいなところや、ホテル、トゥクトゥクに聞いたりして、ある大きなホテルにたどり着いた。
8000チャット
今まで借りていたところの4倍の値段だ。
「友達の自転車よ」という。
「高すぎる」と言うと、
笑ってこう言った。
「そうよ、ここは高いのよ」と。
そして続けてこう言ってきた。
「8000チャットで自転車を借りることができるのはとても安いわよ」と矛盾したことを言い出した。
ということで、
明日は宿にあるおんぼろ自転車を借りることにしよう。
今日は母の誕生日なのでいつも心配かけているしラインでも送っておくかと、Wi-Fiを探した。
宿の人情報だと、宿の裏のでかいホテルのWi-Fiが使えるらしいので聞きに行って来たらとのことだったので向かった。
調子が悪いらしくて使えなかった。
その横にSOFT LANDというネット屋があった。
工事中でおそらく営業はしていないけれど、Wi-Fiは飛んでいたので聞いてみた。
パスワードを教えてくれて、いくらかかかるかなと思ったけれど「フリー」と言ってくれて外のベンチでスマホをいじった。
いったん宿にもどると、宿の敷地内の教室から子供たちの日本語っぽい声が聞こえてきた。
少し聞いていたが、かなりの棒読みと発音がまだまだでほとんど聞き取れなかった。
僕たちが話す英語についても考えさせられた。
僕たちが話す英語はかなり棒読みなんじゃないか。
最近はアクセントとか抑揚みたいなのを少し意識して、外国人の発音を真似してしゃべるように心がけているが、やはり日本人の英語は棒読みだと思う。
教科書を読むのも棒読みなので(読まないよりはいいけれど)
やっぱ英会話は話してなんぼ、実践あるのみだな、話して話して上達するんではないだろうか。
そして話してわからない語を調べる、話す、調べるの繰り返し。
僕の英語は旅をするのには問題はないが、深い話はできないし、わからない単語、言い回しも多くていつも決まったフレーズだけ流暢に話している。
英語を真剣に学ぶために留学も視野に入れているが、旅のが優先で、それは先のことでわからない。
今月間5万PV以上あれば無料でフィリピン留学できるらしいと、
某ブログのあつしさんが言っていた。
あつしさんはそれに参加するんだけど、、
なああああ!!!!!
こんなことなら日本一周の時のブログ引き継いでおけばよかったーーーー
調子いい時は超えていたはず!!!多分
留学したい、勉強したい、、気分です。
ついでにちょっと働きたい。
こういうことは置いといて、
ここYMCAの敷地内は語学のクラス、パソコンクラス、エクササイズ?、空手などいろんな教室が開かれていた。
マンダレーから同じ電車に乗ってきたシンガポール人ビンサンと会って、話して一緒に晩御飯を食べに行くことになった。
彼もまた、オーディナリークラスの電車でマンダレーからミッチーナまで来ていた。
「もう二度と乗りたくない、帰りはバスで帰ってやるとのことだ」
東大よりも賢いシンガポールの超一流の大学を卒業し、2年間Eコマースの会社で働いていたそう。
2年間の兵役もあったので27歳、それから旅をしているそう。
1年に1度2週間くらいは訓練があるそうだ。
二人で食堂探しをする。
はじめは中華に入ってみた。
そこのオーナーとビンサンは中国語で話す。
さすがここは中国に近いだけあるし、それにしても2か国語話すビンサンはすごいと思った。
中国語話せるのって便利だ。
チャイナタウンは世界中どこでもある。
もし彼らが中国語を話すことができれば(どうかはしらない)どこの国でも少し安心して旅ができるかもしれないなと。
ビンサンは中華=たくさん小皿をシェアするイメージだったらしく、二人で食べるには適さないと、近くのカシミール料理へ行った。
料理はまあ、、。
宿に戻りデッキで話していると、
日本人グループが話しかけてくれた。
教会のグループでミャンマー他、タイ近辺の難民支援をしているとのことだった。
今回はカチンの難民を支援しているそうだ。
そういえばYMCAはYang Men’s Christian Association。
あーだからここに泊まっているんだと納得した。
一番若い子は15歳で去年はタイに難民支援をしに行ったそうだ。
牧師さんはかつて長い間アメリカにいたらしい。
そして言った。
「鉄道で来たんだ、どうだった?」
「なかなかしんどかったですよ」
「それを期待して乗ったんだろう」と言われ、
なぜだがギクッとなった。
その通りだ、しんどいのをわかっていて乗った。
鉄道はかなり揺れ時間も長いのでしんどく辛いが、これが超快適だったらもしかすると、もしかしたらがっかりしていたかもしれない。(がっかりはしないと思うが)
移動も地元民と関わることのできる観光である。
いろいろ話していて驚いたことがある。
牧師さん曰く、警察がカチンの若者に薬物を与えているという。
カチンは一つの国として独立したがっているが、ミャンマーの他の部族のようにあまりアグレッシブではないそう。
それをいいことに若いときからつぶす作戦なのかはわからないがそういうことをしているらしい。
信じられないような話かもしれないが、
実際に毎年ここに来て難民支援をしている人が言うんだから本当なんだろう。
でわでわ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。