スカルドゥで食中毒と、チャイ屋と写真

パキスタン
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サラーム!(パキスタンのあいさつ)

約18時間かけて深夜2時にギルギットからスカルドゥへやってきた。

ホテルヒルトンという高級そうな名前のホテルに泊まり、疲れていたため爆睡してた。

宿の人

スカルドゥで食中毒で病院(診療所)へ

早朝、なんだか身体の様子がおかしい。

下痢だ・・・!

そして、迫りくる嘔吐。

僕のこれまでの経験上、下痢だけで済めばなんとか自分で薬等買って対処できる。しかし、嘔吐となると難しい。

パキスタンに入って、カラチで下痢に襲われて病院へ行った。その際の薬が残っていて服用するが、それをどうともしない激しい嘔吐下痢。

もう出るものもなくなる。

しんどい中、ORS(日本でいうOS1、経口補水液)で吸収の良い飲み水を確保する。

ORSの粉

一番怖いのが脱水だ。

カラチのときは脱水まではいかなかったが、ぼくには約2年前のカンボジアの記憶がある。

カンボジアで病院送りになった。

 

今回はこれまで世界中で経験してきた下痢よりもさらにひどくカンボジアを彷彿とさせる。記憶とはすごいものでなんとなくわかる。

これはヤバいやつ!!!あかんやつ!!!

骨折したことある人なら、2回目のときこれは逝ったなとわかるようなそんな感じ。それの食中毒ver.

 

朝の病院がやってそうな時間まで嘔吐下痢と戦い、体力が疲弊し脱水が進行してきたころ、一緒にギルギットからスカルドゥへ移動してきた日本人へ助けを求めた。

宿の人も助けてくれて、病院へ来るまで運んでもらう。

道は悪くて揺れる。

いくつか病院をまわった。

身体がしびれてきて意識が遠くなりそうだった。

自分ではあまり動けないほどぐったりした。(あまり覚えていないけど)

病院(というか診療所)でベッドに寝かされて点滴を数本打たれた。

苦しみながら寝落ちした。

 

しばらく経ったころにフンザで出会った日本人がなぜか病院の前を通りかかった!

恥ずかしいところを見られたと思ったが、もはやそれどころではなかった。

 

なんとか少し回復し、その日のうちに宿へ戻ることができた。

病院でもらた薬

チャイ屋と写真

チャイ屋

食中毒の療養生活中、これほどまでに日本のおかゆやうどんが食べたくなったことはない。パキスタン人の朝ごはんは決まってチャイとプラタなのだ。

実はぼくはチャイが飲めない。しかも、今は脂っこいプラタなんて食べたくないのだ。

 

宿の人に近所のチャイ屋を紹介してもらってキッチンを使わせてもらえることになった。

チャイ屋にて

宿の近くには野菜などが売っている市場などがあるので食材はそこで買える。相場はわからないし、量も少しずつしか買わないので現地の人よりは高いのだろうが、日本と比べると非常に安い。

宿の近くの市場

ほんとバナナとかスイカとかも食べられたらどれほどよかったことか。めっちゃ安いのに。

スカルドゥのスイカ

滞在中は何度もチャイ屋のキッチンを使わせてもらった。

ぼくがチャイを飲むことができたならば飲みまくってお返しができたのだが飲めない。せめてキッチン使用料ということでお金を払いたかったのだがそれはいらないとのことだった。

宿の近くにカメラ・写真屋さんがあることを思い出した。

カメラ屋の前にいつもいる人たち

ときどきすることなのだが、写真を印刷して手渡した。

チャイ屋の人

聞いてなかったが、よく見ると宿の人とチャイ屋の人は顔が似ているような・・・家族なのかな。

 

最終日にチャイ屋を訪れると、壁に写真を飾ってくれていた。(写真右上)

チャイ屋

ありきたりかもしれないけれど、旅は自分一人ではできないし多くの人に助けられているからこそ旅ができる。

宿の人もそうだしチャイ屋の人もそうだし、ここは思い出の場所になった。

食中毒は少し引きずったが次第に良くなった。

 

晩御飯は決まってCITY INNのレストランで食べた。チキンスープは優しい味だし、どの料理もおいしい。おすすめできる!

CITY INN

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。