サワディーカップ(タイ)
ミンガラーバー(ミャンマー)
おはようございまーーーす。
今日はタイからミャンマーへ陸路入国です。
ミャンマービザはラオスの首都ビエンチャンで取得済みです。
Eビザっていうネット申請でもできたので、Eビザで申請すれば楽やったなーーと。
夜にゴキブリがベッドの上までやって来た以外はまあ許容範囲。
ベットの上で対峙した時は、、さすがに嫌。
しかも充電器の下に隠れるし、、><
やめてくれーーーい。
メーソートからミャワディ
朝チェックアウトして、
マーケットでワッフルを一つ購入。
10バーツ。
食べながら、国境行きのソンテウ(ピックアップトラック)20B探し。
なかなか見つからず乗り合いのトゥクトゥク30Bにした。
まあ10Bくらいいいや。
乗り合いなので満員にならないと出発しない。
実は俺が最後の一人だったので、乗客に客引きされた、、(笑)
しっかりしろよー運転手。
客のが早く行きたいからね(笑)
すぐに国境イミグレに到着。
あっさりと出国。
タイとミャンマーの国境には川があるので友好橋を渡る。
橋の上の謎のゾーンに物乞いがいる。
物乞いに国境はないのだろうか。。
タイの車は日本と同じ左通行、ミャンマーは右通行なので橋の上で左右入れ替わる。
ふと川を見ると、地元民は堂々と密入国?していた(笑)
中国の旧正月の時はここの川は密入国者で埋まるそう。
こんな堂々と悪いことしているのに取り締まらない国もどうかと思う。
ミャンマーにもあっさり入国。
入国後よくわからん警察がどこ行くんだ「ヤンゴンか!付いてこい」って言ってきたからついていった。
途中タイバンコクでよくある、朝の謎の停止をした後、また何事もなかったかのように少し歩いた。
路上の旅行代理店だろう。
イミグレで見た人もここで買っていた。
現在ミャンマーチャットは持っていなくて、タイバーツを300だけ持っている。
ここでタイバーツ両替できると言われたが、、レート悪すぎたので断った。
ヤンゴンまで15000チャットとか言ってる。
1社目で決めるのも嫌なのと、単純にミャンマーの通貨を手に入れるためにATMへ。
あまり稼働していなく、いくつかまわって引き出した。
300000チャットが限界らしく、その金額を下ろすと5000チャットの新札が60枚も出てきたのでびっくり!!!(笑)
ちなみに1チャットは0.084円くらいなので300000チャットは2万5000円程。
あの警察みたいなのが付いてきてうざいので、「ちょっと観光してくるわ、あとで行くね」って言って逃げた。
そのままメイン通りを進みつつ旅行代理店的なところに値段を聞く12000チャット。
あぶねえ3000チャットぼられるところだったよ。
そのまま歩き続ける。
タナカという日焼け止めをした人も多く、お菓子的なのを食べて赤いつばを吐く人もいる。
ロンジーという民族衣装、女性はサリー的なのも来ている人もいる。
この国境一つで文字も意味わからん文字に変わるし(タイ語もわからんけど)いろいろ変わったなーと感じた。
そのまま歩き続けて、バスが停まっているのを発見した。
よく見るとバスオフィスだ。
旅行代理店ではなく、バスオフィス。
正規料金で買える!!!と思い飛び込んだ。
12000チャットか330バーツと言われた。
しかも乗客は乗り込んでおり、バスはもうすぐ出発するという。
ミャワディまた来るし先に進もうと思い乗ることにした。
タイバーツが300B しかもっていなかったので「これしかない」というと、ちょっと嫌そうな顔をしていいよと。
少し得をした(笑)
バスに乗り込むと、
俺以外全員タイ人かミャンマー人だった。
バスはかなりきれいで大きく、水も枕もおしぼりとかいろいろくれた。
値段もそんな安くないし、地元のVIPバスなんじゃないかと思った。
初めの数十キロくらいはかなり頻繁に検問があって、そのたびにバスの添乗員は俺のパスポートを持って飛び降りて行った。
外国人やっぱ俺だけだった、、。
俺のためだけにいちいちバス停めてごめんなさい、と思いながら乗っていた。
ミャンマーに入っていきなり長距離移動。
言葉もわからないし、英語も全然通じない。
休憩になってもどのくらいの長さだとか、もうなんもわからない。
すると、通路はさんだ横のおっちゃんがいろいろ世話をしてくれた。
しかも休憩の度に世話をしてくれて、合計、飯2回とコーヒーも奢ってくれた。
沖縄であったタイ人のおじちゃんにちょっと似ている。
ちなみにカレン族だそうで民族衣装着ている。
いつも俺が払おうとする前に会計が済んでいる。
サービスエリア的なところだから安くないはず、、。
申し訳なさすぎる。
バスにもう一人女性が乗っていてその人は英語ができる。
おいちゃんはあんまり話せないので通訳してくれる。
おいちゃんが何かを言っている。
通訳してもらった。
「ヤンゴンには夜に到着する。宿も予約していないし、この知らない土地で夜到着するので君が心配でたまらない。今日は他のホテルに泊まったらどうだい」らしい。
ヤンゴンは宿代が高いこととスーレーパゴダの近くに安宿がいっぱいあるので大丈夫だというが、納得はいっていなさそう。
バスの中では通路はさんだおいちゃんの隣のおっさんのいびきが響き渡る。
めっちゃ気持ちよさそうに爆睡しやがって!!!
移動の9割以上は響いていた、、。
そんな俺は横の席の人とお互い一言も話すこともなく、肘置きの争奪戦(冷戦)をしていた。
17時に着くと思っていたが、20時ごろにヤンゴンのバスターミナルに到着した。
ここアウミンガラバスターミナルは安宿街からかなり離れていいる。
もう暗くて、よくわからない。
バスでスーレーまで行けるだろうと思っていたが、
おいちゃんが「こっちだ」という。
どういう意味かわからない。
同じタクシーに乗れと言っている。
どっかに連れ去られるのか、、あの奢ってくれたのはフェイクで、、とか短時間でいろいろ考えてしまった。
偶然、通訳してくれていた女性もいて話してくれた。
「君のことが心配だから、ホテルまで送ってチェックインするのを見届けたい、そうじゃないと安心できない」だそう。
流れで通訳してくれている人も一緒にタクシーに乗り込んだ。
同じ方向だから一緒に行くらしい。
ヤンゴンの道路はかなり渋滞していた。
「これがヤンゴンよ」と女性が言った。
そしてカバンのショップの前で降りて行った。
スーレーに着いてからは自力で宿を探せるのだが、おいちゃんがそこらの警備委に「日本人が泊まれるところを教えてくれ」と言って、
警備員に先導されながらOKINAWAGUESTHOUSE2に到着した。
夜のスーレーパゴダ
ヤンゴンのアウミンガラバスターミナルから安宿があるスーレーパゴダまでは正確にはわからないが20キロくらい離れている。
タクシー代を出してくれて送ってもらったし、チェックインするまで見届けると言っているので、
もはや俺に拒否権はなかった。
金額は一番安いドミトリーの部屋は許容範囲内だったのでそこにした。
おいちゃんは本当にチェックインを見届けて、安心したそぶりを見せてくれて、さっそうと去っていった。
本当にはじめ疑ってしまって申し訳ないなと思った。
超超超いい人だった。
22時ごろお腹がすいたので飯屋探しにその辺ウロチョロしたが、、ヤンゴンのダウンタウンは想像以上に汚く暗かった。
結局宿の近くの食堂でフライドライスを食べて寝た。
おいちゃんありがとー!!!!!!
でわでわ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。