こんにちは!
マスツージからチトラール、そして一気にカラーシャ族の住むルンブール谷までやってきた!実はルンブール谷でははじめはやや複雑な思いでいた。
宿泊するサイフラゲストハウスからルンブールのカラーシャの人たちの家々が見えた!
目の前のアンテナがなかったらよかったのになと思いましたが、それは旅行者のエゴでしょう。ここはこうあってほしいとか…etc。
それは置いといても、なんか本当に絵に描いたような家々だ。チトラールの外れの谷に位置するのできっと冬はとても寒いと思う。
ルンブール谷でカラーシャの人々を撮り歩く
ルンブールの村を歩きはじめましたが、さっそくあのカラーシャの民族衣装を着た女性たちを見かけます。
カラーシャのお母さんクラスだと、今まで死ぬほど外国人観光客と出会ってきて写真を撮られてきているんだろうなと思った。こどもも可愛いから、もう見ず知らずの人にカメラを向けられ続け嫌になっているだろう。
そして、ぼくがここカラーシャへ来た目的もカラーシャの民族衣装を着た女性たち見たいし撮影したいということである。ここへ来る観光客のほとんどすべての人がそうだろう。
前にブログにも書いたことがあると思うし、旅行人のアルナーチャル・プラデーシュ州の記事にも書いたけど、” 一度嫌な経験をすれば、次に撮らせてもらうのは難しい。”
最近は、特にブンブレットでパキスタン人の観光客も増えてきて撮りまわしているらしい、、。
そうは言っても、ぼくも写真を撮りたい。どうやって心地よく写真を撮らせてもらおうかと考えながら丘を上った。
丘の上では強風が吹き乱れていた。そして、こどもたちが元気に遊んでいた。
こういった自然な写真も撮りたいけれど、ぼくはポートレートのような写真のほうが本当は撮りたかった。
でも、カラーシャの子たちは人懐っこいのに写真となると少し嫌そうな顔をしたのでここではあまり撮らなかった。
もしかしたら本心でこいつも結局写真が撮りたくて近づいてきているのかと思われたら嫌だし。いや、実際にそうなんだけどさ…。
下まで降りたときに、薪をたくさん入れた大きな袋を抱えて丘を上ろうとしているカラーシャのお母さんに会った。写真を撮った。
ぼくはお礼に運ぶよと申し出て家まで運んだ。カラーシャのお母さんは喜んでくれて、家に招待してくれた。家では一枚も写真を撮らなかった。
ぼくが歩いてみたかったのは実は宿から見えていた石を積み上げて作られた家々の団地だった。階段や細い小道がある。
カラーシャの女の子は間違いなく撮影の的にされるが、男の子たちはどうなのだろうか。
ちょっと予想していなかったのだが、若いお母さんから写真を撮ってくれと言われた。
そしてなぜか集合写真を撮ることになった!
こどもたちは天使のような可愛さだ!!!
突然、カラーシャの女の子の一人から手を引っ張られ人気の少ないところに誘い出された!
なんと、一緒に写真を撮ろう!とのことだった!!!キュンキュンするわ!(笑)
それからもあの団地で撮り歩いた。
イスパータ!(ンガパータ!チャラパータ!〇〇パータ!)のような挨拶!?かどうかいまいちわからないが挨拶を交わす。
もちろん楽しそうに話しかけてきてても写真になれば嫌な顔をする子もいた。自分のポリシーとして、嫌がっている子には撮らないし、撮影には全部許可を得ている。
カラーシャの人々
名前も覚えてくれたし、カラーシャのこどもたちと少し打ち解けれたような気がする。
カラーシャのワインも飲ませてもらった!
カラーシャ、ルンブール谷の夜に
夕方にカナダ人やイタリア人たちがジープをチャーターしてやってきた!
彼らは降りる前から車の中の窓からカラーシャの人々を撮りまくっていた。こどもたちは嫌そうな顔で逃げていたのを見かけた・・・。
あと、ラホールのリーガルインターネットインで働いていたスタッフも見かけた。帰ってきたそうだ。
ぼくは日々アフガニスタンへの思いが強くなってきていた。アフガニスタンビザを取得したのは1か月以上も前だった。
チトラールの警察署でも確認をしてわかんないみたいな曖昧な答えを返されて、同じKP州だからペシャワールの警察に電話して確認してほしいと頼んだが無理だった。
その件で、金持ちカナダ人たちのツアーに同行していたガイドに気になっていたことを聞いてみた。
「カイバル峠を越えてアフガニスタンへ行けますか?」
今でもあのときしっかり情報収取しておけばと、やや後悔をしているのだが、ペシャワール滞在中に直接警察に聞いておけば・・と思った。地元の商人に聞いたら「ああ、行けるさ!」と言っていたがそれは参考にならない。
ガイドは言った。「今は行けない。行けたとしても楽しくないぞ!前にドイツ人?がアフガニスタンからカイバル峠を越えてきたが護衛が付いて楽しくなかったと言っていたぞ!」
どうせこれから、チトラールからペシャワールへ行くしその時にでも警察署で聞こうかなとか考えていたが、それでは時間をロスするしそろそろ航空券も取っておきたかった。
一日や二日行くのが遅くなったとしてももう2年以上旅をしているわけで変わらないかもしれないし、旅にそんなに急いでいるわけでもないけど、、ラマダンが迫ってきている。ラマダン時は信仰心が高まり治安は悪化する。
それにラマダン前の普段のアフガニスタンも見ておきたかった。
夜、こどもたちがフェスティバルの練習で何回もメインロードと呼べるかはわからないがサイフラゲストハウスの前を何回も歌いながら肩を組んで走って往復していた。
「あつしー!」と呼んできて、一緒に輪に入れてくれた。
カラーシャの女の子たちと手を繋いで歌って走りまわった。
なんだここは・・・と思った。
「明日移動する」と言うと、「行かないで」と言ってくれた。
それでもぼくは行かなければならない。
ぼくの旅はもう終わるのだ。
やっぱり明日、ブンブレットに行ってからチトラールへ行こうと思ったけれど、直接チトラールへ行って、ペシャワールへ行こうかなと思う。
チトラールも旅友から聞く限りでは非常にいいところらしいが、アフガニスタンには強く惹きつけられる。
今すぐアフガニスタンへ行きたい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。