ミンガラーバー(ミャンマーのあいさつ)
チン州のミンダで顔面に刺青を入れた女性や村の文化・日常を見ることができました。
ミャンマービザの残り日数も少なくなってきて、そろそろ少しずつインド方面へ向かおうと思います。
名付けて「インパール作戦」です!
当初は赤線の、ミンダからマタッピ(matupi)経由でチン州州都のハッカへ行き、そこから行けたらファラムとかテディムとかトンザンを一泊ずつくらい訪れて、カレーミヨからのタムー→モレとへミャンマーからインドへ陸路国境越えしてインパールまでたどり着くという平成のインパール作戦をしようと思っていました。
しかし、結局はまさかのマタッピからハッカへの交通機関がないらしく、身も心も削られて中止ににした。
インパール作戦1
ミンダからマタッピへ
料金は12000チャットとなかなか高い。
出発時間はよくわからない。11時に行ったけど、13時過ぎに出発!
暇な待ち時間に、気になっていたチン州からラカイン州へは行けるのかといったことをスタッフ?のおばちゃんに伺う。そして博物館のおっさんがパレトワ(Paletwa)経由で行けると言っていたことを話した。
そもそも外国人はいけない地域だけど。
おばちゃんはパレトワにはいまだに裸族がいて銃ではなく槍を持って政府と戦っていると言っていた。
若干興味を持ったが、どうせ行けないしなーと笑って終わった。
そんなことよりもこの時にマタッピからハッカの時間など聞いておけば、交通機関がないことは知れたはず・・・だが後の祭りだ。
荷物を一式積んで13時過ぎに出発した!
道は一応舗装されていた(途中まで)けれど、グネグネで辛い。
後ろの席の2人が吐いた・・・。
においなどから車内はハードモードになる。
運転手は休憩時にビールを飲むし。
選択を間違えた?いや、旅にはそんなことはないかもしれないが。無駄にハードな道を選んだんだ(笑)
未舗装のガッタガタ道になる。どこもかしこも工事中でテント暮らしで作業を行っているようだった。
昼飯(出発が遅れたので)も晩飯(高かったので)も逃した。
ここ最近3食しっかりと食べれてない。
あと30キロのところでパンクした(笑)
21時半にマタッピに到着した。なかなかしんどい道のりだった。もうここを通りたくないと思った。
マタッピに到着し、お腹ペコペコだったので食堂へ。
とりあえず宿探しと、明日のハッカ行きのバスを調べなければと思い、なぜかそこにいかした小学校の先生がいていろいろ教えてくれた。
「ここからハッカまでは160マイルだ!公共交通機関は途中少ししかなくて、まあ2日くらいかかるよ、バイクで」
「なんで公共機関がないの?」
「道が悪いからさっ」とさらりといかした彼は答えた。
よくわかないが突っ込んでいってみるのも面白そうだが、そもそもバイクをチャーターしていくのは金銭的につらいので、やめた。
もうミンダーマタッピ間の悪路を通りたくないと思っていたが、引き返すしかないようだ。
安宿を教えてもらったので、そこに泊まり明日の朝マタッピを出て一気にパコックーまで行くことにした。
マタッピからパコックーへ
宿の屋上で朝ごはんを食べながらマタッピの村を見た。
俺はマタッピに泊まるだけに来たのか・・・朝ごはん食べに。
これを失敗とカウントするのかどうかはわからないが、長期旅行だからこそできる謎の行為だ。1週間とかの短期でこんなことするような人はいないだろう。ただの苦行。
州都へ抜ける道なんだから行けるはずと思っていた自分の経験不足でした。
2019年2月、ミンダからマタッピ経由でハッカーへは抜けられないので気を付けて、お金をかけるか頑張れば行けると思うけど(笑)
7時30分にマタッピを出た。
相変わらずの悪路だが、桜のような木を見かけた。
15時前にミンダへ到着。
マツピからミンダは12000チャット、マツピからパコックーは15000チャットなので、心を無にしてそのままパコックーへ。
20時パコックーへ到着。
幸いバス会社に簡易の宿が付いており宿泊することにした。
1泊2000チャットと激安!!!当時のレートで日本円で145円くらいでした。
もちろん部屋はシンプルでシャワーなんかないしトイレもなかなかパンチがきいていたけど、異国にいると感じた。
まあ、それはいいとしてだ!
なんで、俺のバックパックカバーがこんなに汚れているんだろうか。
正直に心の声を言うと、この2日間で心身ともに消耗しミャンマーを出ようと思った。チン州北部観光したかったなあとは思いながら、でももう悪路は嫌だ・・・。
インパールまでの道は続く・・・
最後まで読んでいただきありがとうございます。