今日はバーミヤンからマザーシャリフへ行く。前日にドライバーを探し出して宿までのピックアップを頼んでおいた。
おそらく今日からアフガニスタンではラマダンがはじまったようだ。
前回の続き。
“忘れられた県” 美しきバーミヤンを歩く
バーミヤンからマザーシャリフへ
バーミヤンからプリ・フムリーへ
朝4時ぴったりにドライバーが宿まで迎えに来た。はじめは僕しか乗っていなかったが適宜乗客を拾いながら進む。
基本的に運転手以外とは誰とも話さずで助手席に座り続けた。他の乗客もぼくのことを気にしなかった。
休憩時に隠れてお菓子やナンを食べたり水分補給していた。
途中は山道になった。大きな銃を持って歩く人たちも度々見かけた。自衛のためか。やはりこの土地では自分の身は自分で守らないといけないのだろう。
長いトンネルがあった。中は真っ暗で前が全然見えない。道も悪い。対向車と事故を起こさないか冷や冷やした。これほどまで危険を感じたのははじめてだったかもしれない。山道の側道には雪も残っていた。
悪路を抜けた先で洗車する。
メインザックを車のトランクに入れていたらびしょ濡れになった。
袋にいれていてもこのくらい濡れた。もちろん、衣類は全滅。マザーシャリフで乾かした。
バーミヤン出発から約10時間で乗り換え地のプリ・フムリーに到着した。
前日に、自爆車で特攻をかけた後に爆弾ベストをつけた決死隊が突っ込むという自爆テロがあったそうだ・・・。
プリ・フムリーからマザーシャリフへ
マザーシャリフへ行きの乗り合いのバンを確保し、ここで1時間くらい待つ。
マザーシャリフまでの約2時間半は乗客がウザくて苦痛だった。
上手くは書けないが、はじめのほうは適当に接して無視をしていたのだが、途中で得体のしれない外国人とバレた。
それからは黙秘を続けていた。
すると、後部座席の奴が何回も後ろからぼくの頭を叩いてきたり挑発してきだしたので、ちょっとぼくも怒ってしまって、そいつにつかみかかったりしてしまった。
まわりの人に挑発するのをやめさせてくれとお願いをしてもみんなあざ笑うだけだった。真ん中の席に座っていたのに完全にぼくはバンの中で孤立していた。
他の乗客の人も現地の言葉が話せないぼくを怪しんで持ち物検査がはじまった・・・。
たしかに、ぼくはナップサックを肌身離さず持っていて、それが怪しかったようだ。
なんで知らない人たちに荷物を見られないといけないのか、屈辱だった。
ぼくの仲間はいなかった。
ここはエチオピアか?と思った。
ナップサックの中からペットボトル水や食べかけナンが出てきた。
今はラマダン。
おそらくこいつ(ぼく)はひそひそと飲食をしているんだと疑いの目を向けられる。信仰心のない奴めといった感じか。
隣の席の奴がナンをちぎって、ぼくに食べさせてようとしてきた。
その手からナンを奪い取って、窓から捨ててやった。
こういったこともあり隣の席のアフガン人の若者とも一発触発だった。
彼は殴るぞ!と拳を振りかざすフリをしてきたり、なかなか危ない時間が続いた。ぼくもなめられたらヤバいと思い負けじと強気で対応していた。
髪が長いことがバレた。
女と間違われたのかわからないが、さっきまで戦闘モードだった隣のキモいアフガン人の若者に求愛され続けた・・・。
こいつくだらん英語だけなぜか話せたのだ。
「I love you , you love me?」
「No!」
「Why? You come my house and sleep」
そして、やたら身体を触ってきた。
念のためのチェックか、胸を揉まれた。
男とわかった後も、ぼくを求めてくる。
暴力の対象から、性の対象になっただと・・・
キモ過ぎる!!!
このあたりのアフガニスタンやイランの田舎ではこういう男たちはヤギとセックスしていると聞いたことがあるし、もう生物なら何でもいいんだな。
本当にこの誰も助けてくれない状況が苦痛過ぎた。
男でもこんなにハードなのに、この土地の女性の一人旅はヤバい。
マザーシャリフ到着後、危険を感じたのでこっそり走って逃げた。
よく、旅行者はラマダンは免除されるとか聞くけど、このクソ構ってちゃんなムスリムたちがいる中で飲食できるはずない。あんたらは明け方前に食べてるかもしれんけど、ぼくは食べてない。
14時間ほどぶっ続けで移動した後だが、ホテルの当てはないのでいろいろ探し歩いた。クタクタだ。
少し贅沢をして1000アフガニもするアリーのモスクを望むことができる部屋に2泊した。
マザーシャリフで宿泊したホテルの部屋の写真
疲れた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。